居合の初祖
林崎甚助源重信


(画:山形県、居合神社蔵)


天文12(1542)年、最上領:出羽 村山地方 楯岡(現:山形県村山市楯岡町)に生まれる。幼名は民治丸。父:浅野数馬(重治)は将軍足利義晴の家臣から楯岡豊前守満茂に召し抱えられた。母は宗家最上家の姫君の侍女。
民治丸6歳の時、父:数馬が坂上主膳の闇討ちに合う。父の敵を討つ為8歳で東根二郎太夫という剣士に付くが技量は上達しない。
14歳の時、城下林崎の神社に参籠する事百日、満願の夜、夢に神が現れ抜刀の極意を授けられた。抜刀修行に励んだ甚助は18歳で仇討ちの旅に出、2年後上方で本懐を遂げる。
その後、諸国を歴遊し抜刀術(居合)が普及された。

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